つむぎ日記

2016年06月07日

新月の日に出会ったことば

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新月日にであったことばです。

あるお客様が、花をひきとりにこられたときに

「寝る前にわたしが よく読んでいる言葉です」

といって 本のコピー8枚くらいを手渡された。


そのコピーの文章が
すごくひびいたのでその中のプロローグをほんの 一部だけ紹介しますね。


「どれだけの時間、ぼくたちは今日、この世の光景をみつめたろうか。

ぬけるような青空に、どれだけ深くみほれたか。

地べたの存在を、どれだけ感じとっただろう。

他者がそこにいる。

その「いる」というそのことを、どれだけ身近に感じたか。

のみならず、こうしていま地球上に生きているご自分の存在を、どれだけ間近に感じただろうか。

三日月の切っ先に視線を飛ばしたか。

セミしぐれに身を浸したか。

ビルが路上に落とす影の存在に、目をひらいたろうか。

つまりは、この宇宙が生起する現場に、どれだけリアルに立ち会ったか。


とてもすくない、そういわなければなるまい。

この世の存在を、森の輝きや風の存在を、ぼくたちはことさら感じることなく生きる。

むしろ、そんなことに気どられることこそ、異様。

生き生きとした生活の停滞、懸命に生きてない証拠。

そう思っていさえする。

この世の存在に 目を閉ざすこと。

死んでいるのではなく、この世に現にいまこうして生きている 自分の存在に、思いをはせないこと。

存在に事実などをわすれ、それと触れあわないこと。

そんな暗黙の禁制システムが

今日も自動的に発動し、ぼくたちの一日をつくりあげているように想われてならない。」

本の題名もきいてないけれど、、、なんか面白そうだな、とコピー文を読んで感じました。

古東哲明さんの文章でした。



posted by tsumugi at 15:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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